鉄腕バーディー DECODE + DECODE:02_まとめ感想3 / テレビアニメ
前期「鉄腕バーディー DECODE」から「02」の最終話まで、全部ひっくるめての総括になります。
クライマックスまでネタバレ有りということで、以下は続きから。先に言っておきますが、長いです。
今までの記事で『責任』という観点から語ることが多かったこの作品ですが、それはあくまでサブ要素ということで次回に。
本筋のテーマの方に先に触れていきますね。
この作品の主軸はなんといっても『二心同体』の主人公達、バーディーとつとむ君の関係。
二人の出会いに始まり、彼らが信頼関係を築き『バディ』になるまでのお話が第一期。
そして第二期では『バディ』としてともに困難に立ち向かう二人の姿を描いていたのではないかと思います。
しかもその困難の根幹に有るのが、バーディーの過去。
恋愛関係に置き換えると『両親との関係』とか『昔の男』ってやつですかね。うーん何か、この言い方だと妙に生々しいな(笑)
ともかく、自分の知らない相棒の過去。それを越えてきたからこそ今の彼女がある。現在の彼女を形作っているそれは、決して軽くは無い。
そんな重要な存在が引き金となった事件は、二人にとって大きな『試練』なわけです。
この辺はオープニングの映像にも現れていたのではないかと思います。
一期OPは、バーディーは画面をすばやく飛び回り、つとむ君は地上にと、それぞれ別個に存在しているように見えました。ラストでは二人同時に映っていますし。
それに対して二期OPでのバーディーとつとむ君は、すでに二心同体の状態です。
夜空をバックにしたイメージカットのような箇所以外では両者同時に存在せず、つとむ君からバーディーへ体が変化する様子も出てきます。
物語開始時点での二人の関係に合わせたのではないでしょうか。
そういえば、二回の体の変化がどちらもつとむ君→バーディーだったり、つとむ君のモノクロの絵があったりと二期OPはバーディー主体の物語であることを示唆してもいるようです。
あと歌詞の「そばにいると見えなくなるものは何?」は『バディ』としてある程度時間の経ったバーディーとつとむ君を思わせるところ。
でも「SAY GOODBYE HELLO 繰り返す キミとボク めぐりめぐる 永久に」って部分はバーディーとナタルっぽいかなー。
もしくはバーディーの過去エピソードのラストの7話だとすると、やっぱりバーディーとつとむ君? いろいろ解釈できる感じですね。
話を戻して、テーマの体現者である主人公二人。彼らの前に敵として立ちふさがるのは、両シリーズともに『孤独』を背負った存在。
一期の敵リュンカとそれを寄生させた少女・中杉小夜香は、自分を理解してくれる誰かを求めていた少女と兵器。
そして二期の敵役ナタルは「アルタ人」として差別を受け「個人」として扱われることのなかった――彼自身を見てもらえなかった体験から復讐鬼と化した青年。
二人はこうした『孤独』な存在を打ち破っただけでなく、救いも与えていたと思うのです。
まずは中杉さんについて(いや彼女、敵じゃないですけど)。
両親は亡くなり、祖父は仕事で忙しく、体の弱さもあって友人がほとんどできなかったお嬢様です。
リュンカが彼女を宿主としたのも、その寂しさに引き寄せられたものかもしれないなーとも思います。
死んでいたはずの事故で生き残ったことから「自分は生まれ変わった」という他者と共有できない感情を抱いた彼女。
その気持ちを理解してくれたことが決め手となり、つとむ君に恋愛感情を抱くことに。
そんな彼女に寄生した兵器リュンカ。
ガガガ文庫のノベライズを読むまで気付かなかったのですが、リュンカにも人格らしきものがあったようです。
周囲の生命が根こそぎ消えていくという寄生対象の心の影響もあって、そのリュンカの魂も孤独を感じていた。
だから自分に呼びかけてくれたつとむ君の体にすんなり移動したようです。
この辺は想像すらしていなかったので、中杉さん+リュンカだからあの恋があった、という可能性の提示に少々つとむ君に同情を(笑)
自分の周りには誰もいない、それが寂しい。そんな彼女たちに比べると、二期のナタルの『孤独』は少々込み入っている。
彼の『孤独』を生み出したのは差別であり、ひいてはそれを容認した社会ではないかと思うのです。
「DECODE:02」の最終話感想でも書きましたが、差別というのは個人の否定という側面があるもの。
人間を(その人が属する)人種・国籍といったカテゴリーを根拠に見下す、というのが差別。
つまり人物を判断する基準は、その人自身ではなく、その人が所属する枠組。
ナタルは「アルタ人」を蔑視する銀河連邦の社会では、同族以外には自分自身を見てもらえなかった。
彼はその後ひどくなる迫害に住処を追われ、地球へ逃げてきました。
友人もできますが、彼らには自分の素性は明かせない。同族はもはや父親一人だけ。
この時点でナタルが『孤独』に陥らなかったのは、ひとえにダスクさんの存在のおかげです。
だから、その唯一の命綱が断たれた彼は『孤独』へと真っ逆さまに落ちる。
そのきっかけこそが、リュンカによる六本木壊滅事件です。
この事件で死んだのは、親友の各務(含む多数の地球人)。ダスクさんは無事でした。
でも、この件でナタルは知ってしまった。自分が「イクシオラ」だと。
仲間だと思っていたアルタ人が「化け物」と呼ぶ存在であると突きつけられたのです。
ダスクさんが実父でないとナタルがこの時すでに知っていたかどうかはわからないけれど、少なくとも同じアルタ人だということは疑っていなかったはず。
それが否定されたこの瞬間、彼は独りになってしまったのです。
自分が「イクシオラ」だということを受け入れることが、ナタルにはできませんでした。
「イクシオラ」を生み出したのは、アルタ人迫害を容認する連邦政府。
そしてヴァイオリンの記憶を書き換えるバーディーの姿に、彼は「イクシオラ」の不幸の一端を垣間見たのでしょう。
「イクシオラ」は確かに社会の一員として扱われますが、それは決して幸せとは言い切れない。むしろ政府に利用されているのだ、と彼は感じた。
故にナタルは連邦政府を否定し、それに使われる「イクシオラ」の存在もまた否定する。
最終話での台詞によると、彼は政府の作った法での裁きが信用できないから逃亡犯たちを己で裁くことにしたようです。
「罪も無い人々を殺した」報いを受けろとは言っても「親友の仇」とは言わなかったナタル。
目の前で失った自分と最もつながりの強い人物でなく、なぜ不特定多数の人々について挙げるのか。そこに引っかかりを覚えていたのですが、少し納得いきました。
不平等な連邦政府を否定した彼は、自分は平等であろうとした。だから私怨じみたことは口にしなかったのでしょう。
まあ「アルタ人似の地球人を殺してもお前ら何とも思わないんだろう」とか言ってましたから、私情が充分含まれているのは明白ですが。
でもそれも表向きというか、無意識下には別の理由があったように私には思えます。
それはナタルが自分の『孤独』を認めたくなかった、というものです。
周りの人は全て死んで、自分独り取り残された。自分だけが、仲間じゃない。その事実を受け入れたくなかった、という線です。
死んだ人たちとのつながりを維持していたくて、だから彼らの為の復讐だと言っていた。
親友だけでなく、あの場にいた沢山の人々とつながりを持っていたい。その気持ちが無意識に出ていた、というのもありえるかと。
復讐を始めた理由も、自分を『孤独』に突き落としたあの事件の首謀者がどうしても許せなかったから、という方が私にはしっくり来ます。
そんなナタルに対峙するバーディー。
彼女は「イクシオラ」の特性である力によってではなく、彼女自身の行動でナタルを止めます。
ナタルは「イクシオラは戦うことしかできない」という通念に引きずられ、イクシオラだからという理由でバーディーを殺そうとした。
彼は差別を憎みながら、差別的な思考に取り付かれていたんですよね。
「アルタ人は下衆」「イクシオラは化け物」――単語が違うだけで、同じ理論展開。
でも、バーディーはイクシオラでありながら、連邦の人間でありながら地球人を救った。それはバーディーだからこそ(つとむ君の台詞より)。
カテゴリーで人物を判断することは間違っている、ということを身をもって示した彼女。だからこそナタルは折れたのでしょう。
それから、何の力も無い地球人にすぎないつとむ君が自分の意思でバーディーを守ろうとしたこと。
枠組の中にいても「個人」の全てが押しつぶされるわけではない、己の意思で行動できるということもナタルには伝えられた。
つとむ君は、出番少なめですけどナイスサポートですよ。
このことは差別に寄ったナタルの考えの否定だけでなく、彼を『孤独』から救済することにもつながっていたと思います。
その救いというのが「自分にできることをする」「自分だからできることがある」ということ。
これは同じ『孤独』からの救済にしても、一期に比べてレベルが高いというか大人向けだなーと。
『ロンリー』が『オンリー』になったんですよ。
『孤独』でしかなかった「自分独り」というものが『独自価値』或いは『アイデンティティ』と捉え方を変えることによって、プラスマイナスが大逆転。
解決どころか、これはもう『昇華』ですよ。
この展開は本当にすごい。震撼しました。尊敬です。
リュンカや中杉さんを救ったつとむ君の方法は「一緒にいる」ということ。
寂しさに泣く子どもの、その手をとって握ってあげる。そんなイメージです。
それに対してバーディーがナタルを救ったこれは、子どもを自立させた、っていう印象を受けました。
「自分だからできること」というのは、悪くすれば重圧や孤立につながって、孤独感に再度とらわれかねない危険がある。
でも、依存のみでは真には解決しない。
誰かに与えられた平穏は、その誰かが失われてしまえば崩れ去る。だから、自らの居場所は自らで作れるようにならないと。
「自分だからできること」を行い、他者の力になる。それができるようになれば、もう『孤独』になることはない。
その力の無い子どもには家族等大人の支えがどうしても必要だけど、大人ならできることをしないといけないんですね。
バーディーとつとむ君の『バディ』は、マリオネットと戦ったり記憶を遡ったりと幾多の障害を乗り越え絆を深めて。
最後にこうして『孤独』の体現者たちを破り、救いを与えた。
「鉄腕バーディー DECODE」シリーズはそんな話だったと思います。
さて、これがこの作品のテーマの本筋ではないかと思うわけですが。
私の方で「責任」という観点でも見れそうだーという話もしていました。
それについては、ちょっと長くなりすぎたので別の記事で書こうと思います。
そこでは、この作品の個人的に好きなところも挙げようかと。
そんな感じで、まだ次回に続きます。それでは。
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