世紀末オカルト学院_第13話(最終回)『マヤの文明』感想 / テレビアニメ
最終話一言結論:時間は流れるが自分は流されるな、己の足で歩け。
作品一言結論:未来は『人』が作るものであり、その『人』を育むのは、家族。
ネタバレありますので、以下は続きから。
予想を越えてほしいと前回書いておきながら、それが本当になったら言葉が見つからず苦労しておりました。
なんという贅沢な悩み(笑)。幸せ者だなぁ自分。
でも最終回の、しんみりとしたいい話にまとまった、その終わりを見ながら「落ちが有るんだろ? そうなんだろ?」と思っていたことを告白します。駄目な人です。
タイトルからして、B級感を押し出してきたこの作品。魔女対決は何だか別ジャンルのアニメっぽかったですが大層盛り上がって。そして最後はどんな着地になるのかと思えば、こう来たか・・・・
個人的にはB級を極めてほしいと思っていましたが・・・良い作品になると『B』ではいられない。深いな、B級・・・
まずは冒頭。生きていた学長の行方。
葬儀でえらい騒ぎを引き起こしてくれましたが、身を隠すのに躊躇したりと教育者としての良心は持っていたようで。
きっかけは娘でも、ちゃんと生徒たちのことも思いやっていたのは良かったですな。
しかし、教頭・・・飛ばされた場所が砂漠の真ん中とか海底とかだと死にませんかね?(笑) ドラクエのルーラみたく、行ったことのある場所にしか行き先は設定できないのだろうか。
魔女が街で暴れたことはどうなったのかと思ったら、張り紙にしっかり『魔女災害』の文字が(笑)。学院的には、それが公式見解なんですね・・・
でもマヤって死んだことになってませんでしたっけ。犯人も捕まってない状況だったから、警察も事件を公表してたんじゃ・・・あれか「オカルト学院だからしょうがない」的な解釈がなされたのか(笑)。
僅かな休日を入れて、終業式。シカトして夏休みに突入したりせず、ちゃんと出席する生徒えらいなぁ(笑)。流石あの学院の生徒!
そしてその並んでいる位置からすると、ほんとに学生だったのかJK・・・隣の生徒と服違うけど(笑)。
並ぶ学生達に、パイプ椅子に座るマヤ。1話を思い出す光景ですな。
あの日は、この後、空から降りてくるブンメーと出会い。この日は、この後、空へと消えていくブンメーと別れる。
複雑な気持ちになりますねー・・・。マヤさんの口調からも彼女の縋るような気持ちが伝わってきて痛いんだ・・・
そして、マヤに呼ばれて松代へと来た内田母子サイドはというと。ブンメー君が画面に映るのは、なんだか久しぶりのような。・・・・イロイロあったからなぁ(笑)。
そしてその彼は、勝手にホテルを抜け出しておいてはしゃぎ。・・・これは、無理も無いですかね。
あの学院なら、高校入学済みの涼宮さんちのお嬢さんだって狂喜でしょうから(笑)。宇宙人、未来人、超能力者をコンプしてますもの。
後ろ二つがブンメーに集中してて、最初のひとつは根拠が謎でしたけど(笑)。
空のゲートから出てきたあのメカがなんで宇宙人だったんだろう・・・自称したって感じでもなかったよなぁ・・・便宜上の呼称かな?
とてもどうでも良いことですが、力士らしき像の全体が映ってました。本当に力士だった・・・何だろう、アレ・・・
そして「一日の猶予」と聞いて誰もが予想したとおり(笑)、恐怖の大王降臨。
クライマックスの怒濤の展開には、ただただ圧倒されていました。
ゆったりした前半はどこへやら。あっという間にバトルシーンが始まって、そのままの勢いでラストへなだれこんだ感じで。
初見の感想は「え、ブンメーあれで終わり?!」でした。『ふみあき』の方はちゃんと幸せになったみたいですけど、ブンメーは・・・。そう言えば、今までも解決はしても人死にが毎度出てましたね・・・
それを唯一打破したのは、臨死体験から帰還したこずえのみ。ブンメーもギャグキャラのままなら死ななかったのに!(それもどうなんだ)
でも本当、ブンメーは最後に決めてくれました。是非とも彼には『フライングヒューマノイド』の称号を授与したいですな。オープニング流れてましたし。
あれは何だ?! 鳥か、飛行機か、いや違うフライングヒューマノイドだ! ・・・みたいな。
・・・・・褒めてますよー(笑)。
しかし最終話にブンメーが「好き」と言えたのは、母親に対してだけ・・・。奴のMは、マザコンの頭文字であったということですね!(笑)
そして、マヤさんのSはショタコンの頭文字だったのか。そうか・・・(何)。
それはもちろん冗談として。
白雲のそびえる青空へと歩いていく、白服のマヤさんとライトブルーの衣装のブンメー君が綺麗でした。
家族にトラウマを抱えていた二人が、自分の家族を作って終わるというのも、また王道ですな。
マヤさんと、生きていたパパさんとの再会のシーンを直接描くことはしていなくて。それは彼女が、養育される『子』の側から養育者である『親』の側へ移ったからだと思うのです。
父親の前に出れば、マヤさんは子どもに戻ってしまう。作品全体のことを考えれば、そうしたシーンは無い方が良いと作り手が判断したのではないでしょうか。
でも、マヤとブンメー君――『ふみあき』――が歩いていく場面で、ちらっと思ったのですが。
ブンメーが守り、マヤが育てた『ふみあき』はあの二人の子どもとも言えるのではないかと。
・・・それだと、親子で結婚したことになるんじゃ・・・というか、その後マヤが『ふみあき』を育てたかどうかまではわからないですけど。
反省したお母さんに普通に育てられた可能性もありますしね。マヤがブンメーに頼まれたとは言っても。
それに「未来が変わるのは、ここからだ!」ってことで、あの『ふみあき』はもうブンメーとは別人・・・まあ「オレを頼んだぞ」とも言ってましたけど。
マヤはブンメーの頑張りを認めて、彼をちゃんと名前で呼ぶと思っていたんですけど、その展開は最後まで来なかった。
彼は『ふみあき』とは別人の、『ブンメー』だった。サブタイ通り、まさに『マヤのブンメー』だったんですね・・・
それと、あの印象的な雲。天に伸びる柱のようなあれが象徴していたのは、未来。
そして司令室の無くなった2012年にも、あの雲が在る。何故なら、未来はあそこで終わりではないから。あの時代も、更なる未来へと繋がっているから。
そういう解釈をしてみました。カメラが雲の上まで上昇していくと、ブンメーが見たがっていた流星群。これもニクイな・・・・
ちなみに、2012年の空の平行に並ぶ二本の飛行機雲。一方が消えていき、もう片方が伸びていく。あれは、未来がパラレルに複数存在はしませんよ、ということだと思います。
それだと、あの司令室の在る時代の人たちは、どうやっても幸せにはなれませんし。
その後(1999年)のマヤさんや、2012年のパパさんの記憶はどうなったんだろうとか。
未来世界が崩壊して宇宙人テクノロジーを入手しなければ未来ブンメーは過去に飛べず、なおかつ未来ブンメーが過去に飛ばなければ未来は崩壊しない。条件がループしているんじゃないか、とか。
そのへんのタイムパラドックス的なことはメインじゃないので考えない方が良い類いのことでしょうね。実際に試したものは歴史上おらず、フィクションでは作品ごとに様々な解釈がある命題に、ここで答えなど出せるはずもない。
こういった作中の要素の重要度からいっても、この作品は『オカルト』より『家族』を重視しているんだなぁと思います。
家族が人を育み、自分の足で歩いてこそ、希望の未来が得られる。
それが、一番のテーマだったのではないかと。
・・・・と。
ここまでゴチャゴチャ書きましたけど、結論は、おもしろかった!につきますな。見て良かったです、本当。
スタッフの皆様、ステキな作品をありがとうございました! まずはゆっくりお休みください。そしてまた、新しい作品を見せてくださいませ。
アニメノチカラ枠も復活してほしいです。本当、ありがとうございましたー!
にほんブログ村
世紀末 オカルト学院 1 【完全生産限定版】 [Blu-ray]
世紀末 オカルト学院 1 【完全生産限定版】 [DVD]
世紀末 オカルト学院 1 【通常版】 [DVD]
フライングヒューマノイド(DVD付)
フライングヒューマノイド(世紀末盤)
君がいる場所【初回生産限定盤】